北極星特急のV.H.Dブログ

北極星特急車掌の「ゆきの こうすけ」です。乗り物、ホビー、ビールや日本酒等のお酒、競馬、日常の日記等を中心に書いています。是非ご覧ください。

【鉄道模型】鉄道コレクション、東急7200系入線 ※ジャンク

 こんにちは!  T.Hターミナル駅長、ゆきの晄祐です。いつもご覧いただきありがとうございます。 今日は鉄道コレクション東急7200系入線についてお話します! なお、今回の東急7200系はジャンクです。

 

 11月20日(日)、秋葉原ホビーランドぽちのお店にて、鉄道コレクション東急7200系を購入しました。既に動力ユニット、金属台車が取り付けられているため、後は金属製のパンタグラフに交換して取り付けと、金属台車が取り付けられている先頭車に人形を乗せ、別途車番のステッカーを購入し貼付したらジオラマにて走らせます(※とあるローカル私鉄線の車両として走らせる予定)。しかし、金属台車の先頭車の無線アンテナが欠けていたため、GMまたはKATO製の東急の無線アンテナを購入して、破損した無線アンテナと交換して取り付ける予定です。

 

 実車は、1967(昭和42)年に登場したオールステンレス製車体の車両で、1972(昭和47)年まで53両が製造されました。登場時、多摩田園都市の乗客増加に伴い、田園都市線にまず導入されました。田園都市線ではデハ+クハの1編成2両を2編成連結して4両として運行しました。1967(昭和42)年当時の運用区間大井町二子玉川園~長津田(※1)で、4両は大井町~鷺沼で運転し、鷺沼から長津田までは2両で運転したとのことです。その後、1972(昭和47)年には目蒲線(※2)にも導入されました。デハ+デハ+クハの1編成3両が運行を開始し、1984(昭和59)年には池上線にも導入されました。目蒲線、池上線には非冷房の旧型車両が当時多く走っていたため、両線としては初の冷房車として導入されたとのことです。7200系は東横線でも運用され、東横線で急行運転をする際は「急行」の種別板を付けて走りました。これは初代6000系、初代7000系、8000系でも用いられました。

 1987(昭和62)年、全ての7200系を目蒲線、池上線に集約することとなりました。しかし、デハが不足しクハが余剰になる事態が発生しました。この事態を受け、最終的にクハの9両が7600系として改造されました。

 1992(平成4)年、1000系が池上線に配属されることに伴い10両が廃車され、廃車された10両は上田交通(現、上田電鉄)に譲渡されました。1995(平成7)年、7700系がワンマン運転対応改造を行い、池上線に配属されたことに伴い同線での運用が終了、2000(平成12)年8月、改造された7600系を除き営業運転を終え、同年11月に池上線と多摩川線でさよなら運転を行い、東急での運用を終えました。

 運用を終えた7200系の一部は上田交通(現、上田電鉄)、豊橋鉄道十和田観光電鉄に譲渡されました。なお、上田交通に譲渡された車両は2018(平成30)年5月に引退(※3)、十和田観光電鉄に譲渡された車両は、2012(平成24)年3月31日の同線廃止と同時に大井川鐡道に譲渡されました。2022(令和4)年現在は、豊橋鉄道に譲渡された30両が走っています。

 

 一方、改造された7600系は7200系引退後も運用を続け、2015(平成27)年2月まで池上線と多摩川線を走りました。

 

※1:当時田園都市線は、1977(昭和52)年4月の新玉川線(渋谷~二子玉川園)が開業するまで、大井町線と直通運転をしていた。

 二子玉川駅は、2000(平成12)年8月6日以前は二子玉川園であった。これは駅東口から200m離れた場所に、1909(明治42)年から1985(昭和60)年まで「二子玉川園」という遊園地があったからである。

 

※2:現在の目黒線目黒~多摩川多摩川多摩川~蒲田。当時は目黒線多摩川線は1つの路線だったが、2000(平成12)年8月6日に分割。

 

※3:引退した2両は豊橋鉄道、2両は総合車両製作所(※譲渡当時は東急車輌製造)、2両は千葉県市原市の私有地にそれぞれ譲渡されている。

 

 今日は以上です。ありがとうございました!  次回もよろしくお願いします!